伊達政宗のゆかりの地は福島にも!独眼竜の軌跡を巡る福島の名所3選

奥州の王伊達政宗のゆかりの地は各地にあり、特に宮城県仙台辺りに多いのですが、実は福島県にも伊達政宗ゆかりの地が多数存在します。

今回は、福島県内の伊達政宗ゆかりの地3選をご紹介していきます。

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伊達家発祥の地の「高子岡城跡」

福島県福島市の東北に位置する伊達市は、伊達家発祥の地です。

阿武隈急行線高子駅から北へ向かった場所に、白い鳥居があります。

ここが伊達氏が初めて居城としたと伝えられている「高子岡城跡」です。

その鳥居をくぐって進むと、伊達氏ゆかりの亀岡八幡宮がひっそりと建っており、当時の姿を偲ばせています。

この高子岡城跡は、桃の花の開花時期に花のライトアップや邦楽の鑑賞会などのイベントが行われており、現在でも伊達家発祥の地として人々が訪れています。

文治5年(1189年)源頼朝の奥州征伐に従軍して戦功を立てて、伊達郡を賜ったと伝えられており、伊達政宗のルーツをたどる最初の地となっています。

二本松城

伊達政宗が元服した次の年、父である伊達輝宗が畠山義継に拉致されて捕らえられてしまいました。

鷹狩りに出ていた伊達政宗は急遽戻り、輝宗もろとも畠山義継らを全滅させました。

輝宗の法要を済ませた後、伊達政宗は父の弔い合戦と称して二本松城を包囲し、伊達軍7千人と二本松城救援のために集結した奥州諸侯連合軍約3万人との戦闘になりました。

この戦では政宗自身鎧に矢や銃弾を受けるなど苦戦し退却しましたが、翌年に伊達政宗は再び出兵、二本松氏は二本松城を明け渡し、二本松市は滅亡しました。

その戦いの舞台となった二本松城は、日本100名城の一つで、別名・霞ケ城・白旗城とも呼ばれ、平成19年には国の史跡に指定されました。

二本松城は、石垣が美しい城としても有名で、また「さくらの名城」にも選ばれており、山上には天守台が再建されています。

復元された箕輪門には、戊辰戦争で故郷を守るために若い命を散らした「二本松少年隊」の像があります。

人取橋古戦場跡

二本松城の戦いの戦地となった人取橋古戦場は、福島県本宮市にあって、古戦場跡として現在では碑と説明板が立っています。

人取橋の戦いについて伊達政宗は、晩年、三代将軍徳川家光に「最も苦しい戦いだった」と語ったとされるほどの激戦でしたが、現在では水田の中の小さな橋になっています。

また、伊達政宗を逃がすために斃れた政宗の家臣・鬼庭左月斎(鬼庭良直)の墓もあり、一度は訪れてみたい場所となっています。

また、福島県には桜の名所がたくさんあります。

伊達市のやながわ希望の森公園で行われる「伊達のふる里桜まつり」もその一つで、6種約2000本の桜が咲き誇る中、様々なイベントも行われています。

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