「端午の節句」は、子供たちがこれまで順調に育ったことを祝い、これからも健康で元気に成長する願いを込めお祝いする日とされ、中国が由来となっています。
起源である中国での「端午の節句」は、厄除けや健康祈願のために菖蒲入りのお酒を飲んだり、菖蒲を飾るといった行事を行う伝統的な風習で、日本とは少し意味合いが違います。
そんな中国の風習が日本に伝わると、日本独自の変化とアレンジが加わり、鎧や兜などの五月人形を飾り男の子の行事へと変化しています。
昭和の時代を迎えると、「端午の節句」という言葉から「子どもの日」という言葉が主流となりますが、菖蒲湯に入ったり、五月人形を飾るなどの中身は受け継がれています。
ここでは、「子どもの日」に飾られる五月人形の意味や、なぜ、伊達政宗の兜がモチーフとされるのかなどについてご紹介します。
五月人形のモチーフに武将の兜や鎧が選ばれるのはなぜ?
子どもの無事な成長を祈り、これまでの成長に感謝する「子どもの日」には、地域差はあるものの、さまざまな行事や飾り物があります。
そんな飾り物の五月人形には、男の子に降りかかる病気や災難などの厄除けの意味合いが込められ、鎧や兜を被ったものも多くあります。
鎧や兜には、戦国武将らの戦場での危険から身体を守ってくれたように、子供の身体を災難から守ってくれるような願いが込められています。
江戸時代の武家で家督を継承する男の子の誕生が家系を絶やさないために重要視され、男の子の誕生のお祝いに使われた人形が五月人形の文化へと変化しています。
五月人形に徳川家康や伊達政宗といった武将をモチーフにしたものが多いのは、危険な戦場を生き抜いた武将の功績や生き方に共感する想いや、親の願いがあります。
そのため、家に飾られる五月人形の選定には、それぞれの親や肉親の子供に対する思いの数だけ、なぜ選ばれたかの理由が存在します。
伊達政宗の兜が五月人形のモチーフとなるのはなぜ?
伊達政宗の兜の三日月は、五月人形のモチーフとしたデザインが多く、今でも人気があります。
なぜ、兜に三日月が装飾されたかといえば、戦国武将らの間で広まっていた「妙見信仰」に影響を受け、月を神秘的なものと考えたと推測されます。
幼少期に天然痘の後遺症で右目を失い、内気な性格となりながらも、片岡小十郎との出会いにより、活発で大胆な振る舞いと何事にも挑戦する性格へと変わった伊達政宗の生き方へに共感する人も多いと思われます。
また、「伊達男」という異名もあり、おしゃれで派手なイメージもある伊達政宗のイメージも影響しているかもしれません。
子供の成長を願う五月人形に伊達政宗の兜が人気のワケ
子供の健康と健やかな成長を願って飾られる五月人形には、厳しい戦場を生き抜いた戦国武将をモチーフにしたものが多く選ばれています。
そんな中でも、伊達政宗の兜が人気のなのはなぜか?といえば、伊達男の異名を持つイメージと、右目を失いながらも、その後の武将人生を独特の大胆さで生き抜いた様に共感する親の思いがあるのかもしれません。