東北を制した伊達政宗、そのゆかりの地は東京にも存在します。
今回は、あまり知られていない伊達政宗の東京でのゆかりの地をご紹介します。
伊達政宗終焉の地(日比谷公園)
江戸時代に全国の諸大名は、江戸城下に広大な居住地を与えられて藩邸をもうけていました。
仙台藩の江戸屋敷は、慶長6年(1601年)に伊達政宗が徳川家康より江戸屋敷を与えられたのが初めとされており、その屋敷が外桜田上屋敷です。
その敷地の規模は、東西は心字池西岸から庭球場東端まで、そして南北は日比谷堀沿いの道から小音楽堂あたりまでだったと推測されています。
徳川家康が3回、二代将軍秀忠と三代将軍家光は4回もこの屋敷を訪れたという記録が残っています。
そして伊達政宗は、寛永13年(1636年)5月に、この土地で70年の生涯を閉じました。
現在では「伊達政宗終焉の地」という説明板が立てられています。
また、仙台藩芝口上屋敷(浜屋敷)跡、仙台藩麻布下屋敷跡、仙台藩品川下屋敷跡なども残っており、それぞれ標識や説明板などが設置されています。
正覚寺(目黒区中目黒)
正覚寺は伊達家三代藩主綱宗の側室で、四代藩主綱村の生母・初子の父母の菩提寺です。
寺の中には初子の墓があり、東京都文化財・旧跡指定となっています。
初子が産んだ綱村(幼名・亀千代)はわずか2歳で藩主となり、三代藩主綱宗の放蕩に端を発したお家騒動「伊達騒動」に、幼くして巻きこまれることになりました。
正覚寺の欄間や板戸、そして天井板などは現在でも社務所や本堂で現存しており、当時の建築を偲ぶことができます。
鹽竈(しおがま)神社・塩釜公園(港区新橋)
港区新橋にある塩釜公園は、江戸時代に仙台藩の中屋敷内にあり、鹽竈神社の境内になっていた場所とされています。
宮城県塩竃市にある鹽竈神社を総本社とする鹽竈神社は全国にあり、この鹽竈神社は元禄時代に四代目藩主綱村が、塩竃市にある本社から芝口上屋敷へ分霊を迎えて祀ったのが始まりで、安政3年にこの地に移転されました。
当初は邸内社とされていましたが、その後庶民にも参拝が許されるようになり、本社と同じく、安産の神として信仰を受けています。
鹽竈神社の社殿は昭和20年の空襲で焼失してしまいましたが、戦後再建されて、現在でも安産や長生きの神様として親しまれています。
塩釜公園は小さいながらも、緑に囲まれ都心のオアシスとして地域の方たちの憩いの場になっています。
なお、宮城県塩竃市にある鹽竈神社の総本社は、東日本大震災の際に水が来ず、被害はありませんでした。