伊達政宗の命によってヨーロッパに派遣された慶長遣欧使節は、その当時では画期的な出来事でした。
今回は伊達政宗が支倉常長ら慶長遣欧使節に託した、ローマ法王宛の手紙などについてご紹介します。
慶長遣欧使節と伊達政宗の手紙
伊達政宗は、仙台藩とスペインとの通商を企図して、慶長18年(1613年)、仙台領内においてガレオン船・サン・ファン・バウティスタ号を建造しました。
そしてルイス・ソテロを外交使節に任命、家臣である支倉常長ら約180人をメキシコそしてスペインに派遣するのです。
出立して二年後、使節はローマに入り、支倉常長は華麗な衣装を身につけ、入市式の行進を行いました。
そしてその後ローマ教皇パウロ5世に会い、その際に伊達政宗からの書簡が渡されました。
その内容は、仙台藩でのキリスト教布教のためのフランシスコ会宣教師の派遣と、メキシコとの通商に関してのスペイン国王への仲介をお願いすることでした。
ローマでの支倉常長は、その高潔な人柄といでたちが褒めたたえられ、貴族の位を与えられたとされています。
伊達政宗の手紙が現存するヴァチカン図書館
ヴァチカン図書館とは、ヴァチカンにあるローマ教皇庁の図書館で、世界最古の図書館のうちの一つです。
ヴァチカン図書館は何世紀にもわたって、様々な遺贈品と購入した作品でその質を向上させています。
そして現在では、7万5千冊の文書と8千5百冊に及ぶ初期刊本を含む110万冊を超える数の蔵書を誇っています。
そのヴァチカン図書館に、伊達政宗や支倉常長の書簡の原本が所蔵されており、レプリカが仙台市博物館に所蔵され展示されています。
仙台市博物館の慶長遣欧使節関係資料は国宝となっており、ユネスコ記憶遺産にも指定されている重要なものとなっています。
慶長遣欧使節の成果
ローマの外港に到着した支倉常長一行は、ローマ教皇パウロ5世の歓迎を受け正式な謁見も行われました。
そして常長他、主な随行員にローマ市民権が与えられ、教皇からは伊達政宗への書簡や贈り物そして旅の資金などを賜り、スペインへ出発しました。
しかし、当初の目的であった通商に関する要請についてはスペイン国王に一任されて、ローマ教皇からの同意は得られなかったと伝えられています。
支倉常長がローマでの行進の際に着用したとされる、白地に金や銀の糸を施した華麗な装束姿で描かれた肖像画が、現在でもイタリアに残っています。
また、教皇から使節団への贈り物の中には、キリスト教信者姿の「支倉常長像」があり、これは日本に持ち帰られて「ローマ教皇パウロ5世像」と共に仙台博物館に所蔵されています。
伊達政宗の第一の目的として書簡にしたためた通商に関しては、決して大成功とは言えなかった慶長遣欧使節でしたが、この時代に海を渡って交流したという事実はとても大きなものだったと考えられるのです。