宮城県仙台市青葉町にある青葉神社は、伊達政宗を祭神として創建された神社です。
今回はその青葉神社と、伊達政宗との深い繋がりについてご紹介します。
青葉神社の由緒
青葉神社は1874年に創建され、仙台藩祖・伊達政宗(神号・武振彦命)を祀った神社です。
江戸時代後期から明治時代初期に、藩祖を祀る神社を創建することが全国的に流行し、この青葉神社もその一つとされています。
実際に神社が建てられたのは、伊達家の菩提寺で北山五山の中心の東昌寺があった場所でしたが、東昌寺の敷地西側の3分の2が青葉神社に提供されて、東昌寺の建物は東側の満勝寺跡地から現在の地に移されました。
青葉神社は明治7年(1874年)7月に創営に着手、本殿・拝殿・神楽殿そして社務所を建設、同年11月に落成、鎮座祭を行いました。
東日本大震災では鳥居が崩壊する被害を受けましたが、2014年5月に再建されました。
境内社として、政宗の正室・愛姫を祀る愛姫神社もありましたが、現在では本殿に合祀されています。
また、伊達政宗の騎馬像を映した御朱印帳が人気を集めており、最近では御朱印帳や御朱印を求めて訪れる方も多くなっています。
青葉神社の祭典と収蔵物
春の風物詩である「仙台青葉祭り」は、伊達政宗の命日の5月24日に青葉神社が行っていた例大祭に由来する祭でした。
そして昭和60年(1985年)伊達政宗没後350年からは、市民のお祭りとして「仙台青葉祭り」と名を変えて現在に至っています。
毎年5月の第3土・日曜日に行われる「仙台青葉祭り」では、お神輿や絢爛豪華な武者行列が、青葉神社から続く青葉神社通りを練り歩き、多くの観光客の目を楽しませています。
また、伊勢神宮地方と同じように、毎月初めの午前10時より「朔日(ついたち)参り」のお祓いが今も続けられています。
青葉神社の拝殿内には、「時の太鼓」と呼ばれる太鼓が据えられており、それは仙台城内で時や合図を知らせるために使用されていたとされています。
この「時の太鼓」は、5代藩主・伊達吉村の命により作られたもので、明治維新後、仙台城が取り壊された際に民間に払い下げられました。
しかし、明治8年(1875年)に青葉神社に奉納され、それ以来現在でも毎朝、仙台の町に時を知らせています。
青葉神社には「時の太鼓」の他にも、「伊達騒動」と呼ばれる江戸前期に沖田伊達家のお家騒動にまつわる絵画や、当時の狩猟の様子が描かれた絵画なども収められています。
青葉神社の現在の宮司はあの人物のご子孫
現在の青葉神社の宮司は、伊達政宗の重臣として仕えた片倉小十郎(片倉景綱)のご子孫です。
片倉小十郎には3人の息子と2人の娘がいて、片倉家は小十郎亡きあとは嫡男の片倉重長が家督を継ぎました。
その後この片倉重長に男子が生まれなかったため、娘の嫁ぎ先で生まれた外孫を養子にとり、片倉家の血脈を受け継がせ現在に至ります。
片倉家は幕末に、主君の伊達家と共に新政府に抵抗したために、居城であった白石城を没収されてしまい、片倉家の家臣の一部は北海道に渡り開拓に尽力しました。
現在の宮司は片倉家16代目にあたり、青葉神社の宮司として現在でも「伊達家の守護神」を勤められています。