伊達政宗が餅つきをした?!有名なずんだ餅と伊達政宗の関係とは?

大河ドラマ「真田丸」で、伊達政宗が餅つきをして豊臣秀吉に「ずんだ餅でござる」と献上する場面がありました。

今回は、宮城県の名産品「ずんだ餅」と伊達政宗との関係についてご紹介していきます。

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そもそも「ずんだ餅」とは?いつ頃からあった?

旧仙台藩(伊達藩)の宮城県を中心として人気のある名産品「ずんだ餅」は、かつてはお盆やお彼岸の時期に一部の餅店などで販売されていた商品です。

現代では仙台名物の一つとして、ずんだ餅は年間を通して人気を博しています。

ずんだ餅の由来は諸説あります。

・茹でた枝豆はそのまま擦れるほど柔らかくないので、初めに叩いたり押したりして潰したことを「豆を打つ」と解釈されて、「豆打」(ずだ)から転訛したという説。

・伊達政宗が出陣の際に、「陣太刀」で枝豆を砕いて食べたという逸話から発生したという説。東北地方では「陣太刀(じんたち)」を「じんだづ」「ずんだづ」と発音される。

・甚太(じんた)という農民が、伊達政宗に献上するために考えた餅が政宗に気に入られ、「じんた餅」となったという説。

・古くはヌカ味噌や五斗味噌を「糂汰(じんだ)」と言ったからだという説。

いずれの説も決定的な証拠には欠けますが、伊達政宗が生存していたころに存在していたことは共通しています。

トータルで考えて、「豆を討つ」説が最も有力だと考えられていますが、他の説を完全に否定する史実も見つかっていません。

伊達政宗が餅つき!?

この話は、大河ドラマ「真田丸」で若干お調子者のキャラで登場した伊達政宗が、ずんだ餅を豊臣秀吉に献上したことで有名になりました。

ドラマはドラマとして楽しむべきであり、史実と反するという細かい批判はすべきではありませんが、この逸話に関してはドラマを面白くするためのフィクションだと思われます。

しかし、農民の間で食べられていたずんだ餅を改良して、後に仙台の名産品といわれるほどにしたのは伊達政宗、そういう説もあり、これも完全に否定はできません。

ただし、陣太刀で枝豆を砕いたというのは信憑性に欠けるとされています。

陣太刀というものは武士にとっては神聖で大切な物、それを出陣の際に食べ物を砕くために使うということはあり得ないと考えられています。

グルメで名シェフだった伊達政宗

伊達政宗は元々料理が趣味で、凍り豆腐など現在でも食べられている料理を数々開発しました。

伊達政宗は、戦国時代が終わり太平の世の中なると、美食を極めることに生きがいを求めたとされています。

「政宗公御名語集」には伊達政宗の言葉として、「馳走とは旬の品をさりげなく出して、主人が自ら調理してもてなすこと」という言葉が残っています。

そしてこの言葉は、宮城調理製菓専門学校や服部栄養専門学校などが校訓として引用しています。

また、その美食がたたったのか、晩年の伊達政宗は健康には気を遣ってはいたものの、肥満と歯周病に悩まされていたと伝えられています。

三日月の前立ての兜と黒い鎧を身につけて、数々の戦で暴れまわった伊達政宗からは想像できない晩年の姿でしたが、70歳で病没した時は妻子にも死に顔を見せずに伊達男の見栄を通したとされています。

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