伊達政宗は日本で初めて花火を見た人物?当時の花火とは?

日本で一番初めに花火を見たのは徳川家康または伊達政宗だったのではないか、という説が存在します。

今回は様々な記録から、日本で初めて花火を見たのが誰だったのかについてご説明します。

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定説では、初めて花火を見たのは徳川家康

徳川家康が慶長18年(1613年)に、駿府城で花火を見たことについては、いくつかの文献に記述が残っていることから事実だと思われます。

徳川家康は、将軍職を秀忠に譲って駿府(現在の静岡県)に引退しました。

そして、その後に記した日記風の記録「駿府政事録」に、「花火唐人」や「立花火御覧」という言葉が確認されています。

長崎に商館を建てたイギリス人ジョンが、明の商人と共に家康と面会し、献上した花火を尾張・水戸・紀伊の徳川御三家初代藩主たちと家康が見物をしたという記録も残っています。

これは、日本における初期の花火鑑賞とされており、この時の花火は、立てた筒に黒色火薬を詰めて、これに点火すると火の粉が噴き出すという単純なものだったとされています。

伊達政宗も花火鑑賞をしていた

伊達家で編纂された仙台藩の正史とされる「伊達家治家記録」や天正期における伊達政宗の動向を、側近が記した「天正日記」にも興味深い記録が残っています。

それは、天正17年(1589年)7月に米沢の居城で花火を行ったというものです。

7月7日「夜になって唐人が3人来て、花火を行い、その後歌も歌った」

7月8日「夜に唐人が花火を配り、伊達政宗公が花火をした、一段と見事だった」

その後も7月14日、7月16日と、数回にわたって唐人を居城に招いて花火を行っている様子が記されています。

当時23歳だった伊達政宗が、花火をいかに気に入ったのかうかがわれる逸話です。

この時の花火は、「配られた花火を政宗がやった」ということから、現在の玩具花火のようなものだったのではないかと推測されています。

それ以前にも花火が鑑賞されていた?!

実は、徳川家康や伊達政宗よりも更に前に、ポルトガルのイエズス会の宣教師によって花火が日本にもたらされていたという説も存在します。

これは、残念ながら日本が戦国時代だったこともあって、日本国内での記録には残っていません。

ポルトガルに残っている「イエズス会日本年俸」や「フロイス日本史」に、大分県臼杵市のイエズス会の聖堂において、三千の灯籠と花火の仕掛けが施されたという記録があります。

江戸時代に幕府は、家康ゆかりの地である三河地方で唯一火薬の製造と貯蔵が公式に許可されていました。

また、花火の人気が上がると共に、幕府は火災防止のため、花火の種類や火薬の量そして使用場所などを指定し、安全対策を指示したとされています。

花火は三河地方で発達し、全国に「三河花火」として広まっていき、現在でも三河周辺には煙火問屋が多く集まっています。

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