伊達政宗が自身のお墓の地に込めた想いとは?

独眼竜・伊達政宗のお墓は、宮城県仙台市青葉区にある瑞鳳殿にあり、この地には政宗の想いが込められています。

今回はその瑞鳳殿と、その地に込められた伊達政宗の想いについてご紹介します。

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伊達政宗自身が選んだ地

伊達政宗は、寛永11年(1634年)ごろから嚥下困難や食欲不振で体調不良を訴えていました。

寛永13年(1636年)に母・義姫を弔う「保春院」の落慶式を終え、その後ホトトギスの初音を聞きに城下を散策した政宗は、経ヶ峰に登ります。

そして正宗は経ヶ峰に杖を立て、家臣たちに「自分が死んだらここに埋葬せよ」と命じたと伝わっています。

それからほぼ一か月後政宗は返らぬ人となり、その場所に創建されたのが瑞鳳殿です。

瑞鳳殿は政宗の没後翌年に完成し、伊達政宗は現在でもこの瑞鳳殿の地下で眠っています。

この場所は、中世期に出羽三山で修行した満海上人が、この地の東峰に経文を納めたことから経ヶ峰と呼ばれるようになったといわれています。

藩政時代以降は、伊達家の墓所が置かれる霊域として、限られた者しか入ることのできない場所となり、正式には「経ヶ峰伊達家墓所」といいます。

瑞鳳殿とは

経ヶ峰は伊達家の霊域として、長年の間一般の人が立ち入ることができない禁断の地であったため、藩政時代そのままの自然環境が残っている静かな場所です。

この地には伊達家の石高を表した62段の参道(実際には63段とも)や、瑞鳳殿造営時に植林されたとされる樹齢350年以上の杉もあり、歴史と自然を体感できる場所になっています。

瑞鳳殿は、「東北の日光東照宮」と呼ばれるほどの華麗な桃山建築で、戦災で焼失しましたがその後再建されました。

色鮮やかで豪華絢爛な彫刻がほどこされた霊廟は、伊達政宗の好んだ様式そのものだと思われ、紅葉の時期などは周囲の風景を含めて更に美しいといいます。

遺言通りに政宗は、現在でも瑞鳳殿の地下で眠っており、この現在の建物は昭和54年(1979年)に再建されたものです。

毎年1月1日・2日、そして5月24日の政宗の命日だけ、木彫りの伊達政宗像が御開帳となり一般の参拝客も見ることができます。

興味深い「資料館」

瑞鳳殿の脇には資料館があり、戦災で焼失する前には「御供所」という建物があり、瑞鳳殿と回廊でつながっていました。

この資料館には、この地で発掘された歴代三藩主である政宗・忠宗・綱宗の骨格から復元された容貌像があり、政宗の顔を拝むことができます。

またここで発掘された埋蔵品なども多数展示されており、それらを発掘調査した時の映像も公開されていますので、瑞鳳殿を訪れた際にはぜひ立ち寄ってみたい資料館となっています。

ちなみに、資料館自体はあまり大きくなく、瑞鳳殿の観覧券を購入すれば無料で入館できます。

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