大河ドラマ「天地人」に見る、伊達政宗の嘘とホントとは?

2009年に放送された大河ドラマ「天地人」、直江兼続を主人公としたストーリーでしたが、そこで描かれている伊達政宗像に賛否両論がありました。

今回は「天地人」での伊達政宗に関する、嘘とホントについてご紹介していきます。

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伊達政宗の「天地人」でのポジション

大河ドラマ「天地人」は、原作・火坂雅志、脚本・小松江里子による、直江兼続の生涯を描いたドラマです。

直江兼続は、義と愛の精神で上杉景勝(上杉謙信の養子、謙信の後継ぎ)に仕えた武将としてこのドラマで一躍有名になりました。

このドラマの中で伊達政宗は、教養のある文武両道の人物ではありますが、酷薄で冷血な人物として描かれています。

史実に残る伊達政宗の戦でも、実際に残虐な戦い方をした記録も残っていますが、決して残虐非道なだけの人物ではなかったとされています。

幼少期に父や弟を斃さなければならない悲劇を経験し、また疱瘡によって片目の視力を失うなどの波乱万丈な政宗の前半生でしたが、ドラマに描かれているような暗く乱暴なだけの武将ではありませんでした。

直江兼続が主人公であるがゆえに

天下統一のために政宗に恭順を求める秀吉に対しても、あくまで反抗的な態度を取り続ける政宗でしたが、ドラマでは直江兼続の説得によって服従を決めたという描かれ方をしています。

伊達政宗を演じた松田龍平さんも、政宗の鬱屈した性格と残酷な一面をうまく演じられていました。

直江兼続が徳川家康に宛てた「直江状」も、伊達政宗は「青臭い」と一蹴しています。

これは娯楽としてのドラマでは必要な手法であり、フィクションとして楽しめる作品にするためには欠かせない方法です。

合戦を通しての交流よりも、伊達政宗の凍った心を直江兼続の「愛」が溶かしていくという逸話をメインにしたかったということだと推測されます。

実際の伊達政宗は、様々な史料から読み取る限り、もっと冷静に戦略を立て、時代を読む力があったと推測されます。

「天地人」は上杉家主体・直江兼続が主人公となっているので、おのずと政宗をそのようなキャラ設定にしたのではないでしょうか。

現実の伊達家と上杉家

歴史にIFはないといいますが、もし関ケ原の戦いの時に上杉家と伊達家が結託して家康軍を攻めていたら、西軍が勝つ可能性があったという説があります。

攻めようとした直江兼続を上杉景勝が止めた逸話は、「天地人」の中では景勝が「義」を通して家康の追撃を制止し、兼続も泣く泣くそれに従ったいう話になっています。

その頃伊達政宗は、白石城を攻めていたのですが、それ以前から上杉家と伊達家は裏で和睦交渉が進んでいたともいわれています。

伊達家と上杉家は当初敵対関係にありましたが、後に共に徳川軍として大阪の陣に参戦し徳川軍を勝利へと導きました。

そこには上杉家当主・上杉景勝を支えた直江兼続と、伊達家当主・伊達政宗を支えた片倉小十郎の存在が大きく影響しています。

伊達家と上杉家、どちらも有能な側近がいたからこそ、その後の藩が発展したという共通点を見ることもできるのです。

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