伊達政宗ゆかりの松島の五大堂、その魅力と見どころとは?

伊達政宗ゆかりの五大堂は、正宗の菩提寺である瑞巌寺の境外仏堂です。

今回は、五大堂の魅力と見どころをご紹介していきます。

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正宗の菩提寺・瑞巌寺

天長5年(828年)、慈覚大師によって創建されたと伝えられる瑞巌寺は、欧州随一の禅寺で伊達政宗の菩提寺です。

戦国時代に衰退していたこの寺を、伊達政宗がこの地を治めるにあたって、心血を注いで寺院を再建して瑞巌寺として現在も残る建造物が造られました。

現在の建物は、慶長14年(1609年)に政宗が桃山様式の粋を尽くして5年の歳月をかけて完成させたものです。

創建の際に、本堂と庫裏に使う木材は和歌山県熊野山の山の中から伐り出して、海から運ばせました。

そして瑞巌寺建造の際に、政宗から宮大工に大変厳しい命令がありました。

それは、決して土足で立ち入らないこと、また、当時は貴重だった鎹(かずがい)や釘の一本も、誤って落としたものは使ってはならないというもので、政宗の深いこだわりがうかがわれます。

松島にある仏堂・五大堂

五大堂は日本三景の一つ・松島にある仏堂で、本州海岸に近い小島にあります。

伝承によれば、大同2年(807年)、坂上田村麻呂が欧州遠征の際に、毘沙門堂を建立したのが始まりとされています。

現在のお堂は、政宗が瑞巌寺の再興に先立って再建したもので、東北地方最古の桃山様式の建築物です。

大きさ方三間、宝形造・本瓦葺で、軒回りの蟇股に包囲に従って十二支の彫刻が配されています。

勇壮な彫刻と素木造りの外観、そして対照的に奇巧を凝らした宮殿型厨子には、伊達政宗の求めた文化が色濃く表れています。

慈覚大師手掘りの五大明王

慈覚大師・円仁が安置したとされている厨子内の五大明王像は、33年に一度、御開帳の際に参拝でき、次回の御開帳は2039年の予定です。

慈覚大師の手彫りと伝えられている厨子内の五大明王は、永安時代中期に作られた秘仏で、国の重要文化財になっています。

各像とも欅(ケヤキ)材の一本造で、不動明王像の高さは約64cmとなっており、地元で制作されたとされています。

中央に不動明王、東には降三世明王、南に軍荼利明王、西に大威徳明王、そして北には金剛夜叉明王がそれぞれ配置されており、現存する五大明王像のなかでも価値が高いものとなっています。

現在のお堂へ渡る「すかし橋」は現在では立て板が2枚しつらえてありますが、元々はこの板はなく梯子状の橋でした。

横板の間隔も約5寸(15cmほど)もあって、江戸後期の紀行文には、怖くて渡ることができなかったとの記述が残っています。

平成28年(2016年)には、東日本大震災復興記念事業として、「松島瑞巌寺と伊達政宗」という三井記念美術館の特別展が行われ、特別に五大明王像が開帳されました。

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