伊達政宗のハーフ説やオッドアイ説の根拠と信憑性は?

最近、伊達政宗はハーフだった、オッドアイだったのではないかという説が浮上しています。

今回は「政宗ハーフ説」「政宗オッドアイ説」について、検証しご説明していきます。

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伊達政宗ハーフ説について

伊達政宗出生の逸話をまとめた「性山公治家記録」という本があり、その中に母・義姫の夢語りがあります。

義姫が政宗を解任する前に夢の中で銀髪(または白髪)の僧侶が現れ「あなたの腹を貸してほしい」と言い、その直後に政宗を身籠ったという話です。

しかし、発掘された政宗の遺骨を研究した結果、日本人の骨格であると証明されました。

このように政宗は日本人、そして東北地方の出身ということが科学的に証明され、ハーフ説はただの憶測だということになりました。

また、政宗は慶長遣欧使節派遣するなど、海外特にヨーロッパに関心が深く交流があったことも、ハーフ説に繋がったとも考えられます。

伊達政宗オッドアイ説について

オッドアイとは虹彩異色症の事をいい、左右の瞳の色が違うということです。

これは基本的には遺伝子疾患とされていますが、事故や病気によって後天的に発症することもあります。

伊達政宗は眼帯をしていたということで、それはオッドアイを隠すためだった、そのあたりから政宗オッドアイ説が流れたと考えられるのです。

しかも、政宗の遺骨のDNA研究から、疱瘡(天然痘)で片目を失っていない可能性が高くなったことも関係があります。

従来は、政宗が疱瘡で片目を失明し、醜くなったために抉り出したなどの説が定説となっていましたが、この研究で眼窩には眼球が残っていたと証明されたのです。

眼窩が残っていたのに眼帯をしていたのは、オッドアイを隠したかったから、という推測に繋がったと推測されます。

伊達政宗の右目はどうなっていたのか

伊達政宗は幼少の頃の疱瘡(天然痘)で、右目に異常が生じたということは事実だと考えられます。

それは現存する政宗の肖像画や像でも、小さく描かれていたり閉じていることから推察されるのですが、眼帯をしていたという確実な史料は残っていません。

しかし、白濁していた・斜視になった、または眼球が飛び出ていたなどの説もあり、眼帯ではなく白い布や包帯で隠していたことは史料に残っています。

大河ドラマ「独眼竜政宗」が人気を呼んだことや、正宗がゲームなどのキャラに使用されたことによって、伊達政宗のビジュアルがクローズアップされました。

伊達政宗といえば、三日月形の前立てと刀の鍔の眼帯、そういうイメージが定着したのは、意外と最近のことなのです。

刀の鍔の形の眼帯については、実際に使用するにあたっては現実的ではなく根拠も不明なことから、映像化するにあたっての脚色と考えるのが妥当だと考えられます。

そしてそれらことから、オッドアイ説やハーフ説など謎めいた噂が生まれたのではないのでしょうか。

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