伊達政宗の菩提寺「瑞巌寺」、この寺に込めた伊達政宗の想いとは?

伊達政宗の菩提寺である瑞巌寺には、伊達政宗の強い想いが込められているとされています。

今回はその瑞巌寺と、伊達政宗の想いについてご紹介していきます。

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瑞巌寺とは

瑞巌寺は伊達政宗の菩提寺であり、山号を含めた正式名称は「松島青龍山 瑞巌円福禅寺」です。

創建は平安時代で、古くは松島寺とも呼ばれていました。

慶長5年(1600年)関ケ原の戦いが終わった後、仙台に治府を定めた伊達政宗は、仙台城の造営とあわせて神社仏閣の造営に心血を注ぎます。

江戸時代に入って松島を含む仙台藩を領することになった伊達政宗は、禅僧・虎哉宗乙の強い勧めでこの寺の復興を思い立ちました。

そして、戦国時代を経て衰退していた瑞巌寺の造営には、特に力を入れたと伝えられています。

虎哉宗乙は伊達政宗の教育係・師匠として、幼いころから政宗に様々な助言を与えた、聡明で豪快な僧です。

現在にも伝わる桃山様式の本堂など、国宝建築を含む伽藍は、政宗の造営によるものです。

瑞巌寺に込められた伊達政宗の想い

瑞巌寺の復興に際して正宗は、用材は紀州の熊野山中から伐り出し、いかだを組んで海上から運ばせ、大工の梅村彦左衛門家次一家や、刑部左衛門国次ら、名工130名を招き寄せました。

その際に宮大工たちに対して、政宗からの大変厳しい命令があったという逸話が残っています。

まず、決して土足で立ち入ってはいけないということ。

実際に建築に関わる大工たちにとって、なかなか難しい注文であったのではないかと推測されます。

また、当時は貴重な材料だった釘や鎹(かすがい)は、一度でも誤って下に落としたものを使用してはいけないというものです。

これだけの政宗の気概と思い入れが込められた本堂と庫裏は、約400年の歴史の中で一度も火災に遭遇することがなく、現在では桃山様式の建築として国宝に指定されています。

伊達政宗のこだわり

国宝に指定されている庫裏は、政宗のこだわりを感じさせる作りになっています。

庫裏とはいわゆる台所にあたる施設で、普通は質素な作りになっていることが多いのですが、瑞巌寺の庫裏には唐草などの彫刻がされていて、政宗のこだわりや美意識が垣間見られます。

また、台所に必要な「煙出し」は、万が一の際には見張り台の役割を持っていたともされています。

また、本堂の「唐戸」の扉の彫刻も大変見事なものとなっており、政宗がいかに美へのこだわりが強かったかを感じさせるものとなっています。

時代の流れに翻弄されながらも復興を繰り返してきた瑞巌寺、そして政宗の美へのこだわりが込められた瑞巌寺は、現在では悪縁を断ち切り新しいチャンスを引き寄せるパワースポットとして名を知られています。

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