奥州の英雄・伊達政宗が現代まで続く人気の理由とは?

好きな戦国武将は誰?というアンケートでは、必ず上位にランクされる伊達政宗。

今回は、教科書に載るほどの功績は残していない伊達政宗が、現代でも人気を集める理由について考察していきます。

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野心家で無鉄砲だった前半生

伊達政宗は奥州の名家に生まれたものの、幼少期や少年期には数々の不運に見舞われました。

特に家族内の争い、父親を自分の手で討たなければならなくなり、弟をも斬ることになったという事情が、政宗の性格に影響を及ぼしたと思われます。

また、幼少期に患った疱瘡(天然痘)で片目の視力を失い、見た目にもハンデを負いました。

軍事的才能に恵まれた伊達政宗でしたが、自分が一人前の武将になって天下取りに参戦しようとした時には、豊臣秀吉によって天下統一がほぼなされていました。

それでも様々な策を弄し、領土を広げようと奔走しましたが、結局は秀吉に減封され東北の一大名として何とか自領を保つのが精一杯となってしまったのです。

そういったドラマチックな前半生は、大河ドラマ「独眼竜政宗」に始まり、様々な人の関心と共感を集めたと思われます。

そして穏やかな後半生

徳川の世になり天下泰平が訪れてからの政宗は、表立った軍事行動を一切しなくなります。

徳川家康・秀忠・家光三代にわたって忠心を尽くした政宗でしたが、決して媚びず東北の雄としての尊厳を失わない姿勢も爽快感を与えてくれます。

そして政宗は、ヨーロッパに通商と友好のための使節を送るなど、グローバルな視野を持った人物でした。

確証はありませんが、スペインと通じて軍事力を高めることで、もう一度天下取りの戦に臨みたいという野望が見え隠れするところも、政宗の謎めいた魅力の一つとなっています。

伊達政宗には、織田信長や豊臣秀吉のように誰でも聞いたことがある代表的な戦の功績はありません。

しかし、一時期は滅亡の危機にあった伊達家を若くして立て直し、仙台藩を確立した政宗は、「猛将」ではなく「智将」であり、優れた施政者でした。

グローバルな視点、失敗を重ねながらも様々な策を弄してみる、これが現代に通じる伊達政宗の大きな魅力だと思われるのです。

「伊達男」の語源にもなった政宗の矜持

伊達政宗の兜の前立てのデザインは、現在でも一番の人気を誇っています。

大きな三日月形のシルエットは大変スタイリッシュであり、この兜は政宗専用のデザインだったとされています。

映画「スターウォーズ」のダースベーダーのデザインは、政宗の兜と黒づくめの鎧兜をモデルにして作られたという逸話は有名ですが、それだけ正宗のセンスが優れていたのです。

なぜ三日月形を採用したかというと、月や星を信仰し月の加護を受けるといった目的がありました。

そして、その月の中でも三日月を選んだのは、形の良さと同時に戦闘時に刀の邪魔にならないためだと伝えられています。

平和が訪れた後の政宗は、優れた施政を行うとともに、趣味に生き、自らの生活を律して過ごします。

現代にも通じる健康法を取り入れ、自ら料理をし、身だしなみや立ち居振る舞いにも気を遣いました。

そして臨終の時も、自分の醜い姿を見られたくないとして、妻子の立ち合いを拒否したとされています。

そういった「伊達男」としての心意気も、現代まで続く政宗人気の理由の一つだと考えられます。

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